2009年10月20日火曜日

ソーシャル性の価値とは(1)

(編集中。今後も再編集を繰り返して行く予定)

様々な切り口からソーシャル性の価値が語られているが、
今日は、今一度ウェブというものをマクロに見た時に、
そこから得られる価値(便益)を仮に※「ウェブ総生産」と呼ぶとするならば、
ソーシャル性というものがどのような意味を持っているのかについて書く。

数少ない読者の方々の意見を聞きたいという意味でも、
私のまだ生まれたてで形容する言葉が見当たらないくらい不完全な仮説を公開する事で、
ブラッシュアップしたいと思う。

※ウェブ総生産とはより定義的に書くと、
文字通り
ウェブ総生産=一定期間内にウェブで産み出された全ての付加価値の総計」
という事になるだろう。

ウェブ総生産の大部分は、集団としての価値が発揮されているサービスによるものだとしたら


仮に、
ウェブというものが我々に与えてくれる価値(ウェブ総生産)の大部分が、
アマゾン、itunes、eBay、Google、Yahoo!、はてな、flickr、等を始めとした、
「ユーザー一人一人の消費、及び生産活動(検索したり、音楽を聞いたり、写真をあげたり、口コミをしたり、タグをつけたり、OpenAPIを使ってアプリを作ったり)が創造活動として価値を持ち、それによって集団としての価値(集団による価値であり、集団への価値)を生んでいるサービスによって構成されているとしよう。

ここでは、
個人個人の活動、そして活動履歴を含めた個人のプロフィールが大きな意味を持つ事、
又、その様な集団としての価値が、結果として集団の知恵(集合知)の発展を促し、さらなる価値を生み出す事も、なんとなくイメージして頂けると思う。

メディアコンサルタントのジェフ・ジャービスがウィキノミクスで語るように、
この集団の知恵こそが、コンテンツを見つける時、探したい情報を検索したり整理したい時、あるいは広告の効果を高める為に役立つ。
※集団の知恵には、例えば数あるブログ記事の中でもどれが最も有意義なのかを知る為の個人個人のタグ付け行為等が入る。
これの発展というのは、私の解釈では、
集団における個の数としての発展と、個による活動のクオリティーとしての発展の両方を意味する。

だとすれば、ソーシャル性の持つマクロ的な意味での生産価値とは、
基本的には個別に存在するという事が前提における個人の集合体が生み出す価値に加え、
「人と人とのつながり、関係性」という、新たな価値を付加した
と位置づけられるのでは無いか。
つまり、ソーシャル性という新たな要素が加わった事によって、
マクロ的に見た、ウェブが我々に提供しうる価値(ウェブ総生産)が増幅した
という結論に至る。
しかも、ただ増幅しただけでなく、
革新的に、ドラスティックなウェブの変化を持ってしてその生産価値を増幅させていると私は考える。
それは、Web2.0の時代の到来がウェブに与えたインパクトと同等か、
それ以上の影響があるとさえ思う。

それくらい、人と人とのつながりという要素は、様々な形で価値提供をしうる、
あるいはすでにしていると思う。



ソーシャル性が付加する新たな価値とは?


例えば、同じ情報でも、
ソーシャルグラフ的にみて信頼性の高い人が発信している情報と、
情報提供者である個人に対して、その人のウェブ上における信頼度を測る上で必要な情報が無い人が発信している情報とで比べると、
明らかに前者の方が、情報の信頼性、信憑性等のクオリティーに関して、より高いものが期待出来る。
匿名の誰かよりも、例えば分かりやすいところで、
多くのネット関係者に情報源として支持されるループスコミュニケーションズの斉藤さんの記事やつぶやきは、匿名のネットに詳しそうな誰か、よりも信頼性が高いと言える。
もしも斉藤さんの提供する情報が、仮に彼の会社の信頼度によって担保されているとしても、
例えば同じ様なデモグラとサイグラを持つ二人の学生がいた場合、
より多くの人からフォローされていたり、
そのフォロワー達がそれなりにリテラシーのある人間が多い場合、
その学生からの情報への信頼度や期待度はもう一方の学生よりも相対的に高まると考える。

ここでいうソーシャルグラフ的にみて信頼性の高い人というのは、
数的に多くの人とつながりを持ち、
より多くの人達のコミュニケーションを取っているというステータスだったり、
またその様なソーシャル性の高い人とどれくらい繋がっているのか、
どれほどコミュニケーションをとっているか、等の項目によって語られる。
また今回は事例が情報収集に関してなので、
情報収集をしている個人にとって、情報提供者がその特定のテーマに関して、どれ程発言しているかと同時に、どれほどその分野で信頼性の高い他の個人とつながりを持っているのかも重要な要素となると考える。
(他にも項目はあるかもしれないので、是非多くの意見を伺いたい。)

又、情報収集という活動に関して更に違うシーンを考えると、
人と人とのつながりによって、個人個人が自らの手を動かして多くのアンテナを張る際にかかるコスト(時間)が格段に削減されたと強く思う。
これまでは、興味分野の情報を得る為に、非常に多くのアンテナを張る必要があった。
例えば医療や教育という情報が溢れている分野に関しては、
一本どころが数10本、数100本のアンテナを張る必要があった。
(専門メディアや専門家の書くブログをはじめとした個人メディア等の情報を個別に取得する、という意味での「アンテナ張り」)


しかし今は、誰か数人の情報発信者とつながれば、
より効率的に優良な情報を取得する事が出来る可能性が高い。
自分でネットを彷徨わなくても、同じ様にアンテナを張っている個人とつながれば、
彼らは勝手に独自の情報網からの情報を集めて発信してくれるからである。


これらはあくまで数多くあるソーシャル性が私たちにウェブを通じて提供してくれる価値の一部である。

結論


そもそもウェブ総生産なるものが構成する要素と、その比率に関する議論をもっと深くする事が求められるが、仮に上記の様な仮説に基づき思考すると、結論は以下の様になる。

繰り返すもソーシャル性は、マクロ的に見た、ウェブが我々に提供しうる価値
『ウェブ総生産』を増幅させた。
それも世界をドラスティックに革新させうるインパクトを持って。
それは、
今まで基本的に個別に存在するという事が前提にあった個人の集合体が生み出す価値に加え、
「人と人とのつながり、関係性」という、新たな要素を付加し、
つながりを持つ事を前提とした個人の集合体が生み出す価値を創出した事による。



皆様の意見を踏まえた上で、また更に思考したいと思います。
ご意見をお待ちしております。

ularatter

3 件のコメント:

  1. 「ウェブ総生産」、Catchyですね。新書書いてください 笑
    で、まだ「不完全な仮説」なので「不完全な感想」書きます。議論しませう。

    > ここでいうソーシャルグラフ的にみて信頼性の高い人というのは、
    > 数的に多くの人とつながりを持ち、
    > より多くの人達のコミュニケーションを取っているというステータスだったり、
    > またその様なソーシャル性の高い人とどれくらい繋がっているのか、
    > どれほどコミュニケーションをとっているか、等の項目によって語られる。

    いわゆる「Google/PageRank的」思想、もっと言ってしまえば論文の評価システムだよね。
    引用数が多い論文は評価が高い、評価が高い論文からのリンクは評価が高い、という。

    WEBサービスの進化とユーザーのスタンスの変化によって、従来のロボットがクロールし得ない情報にまでリーチし得るという違い、あとはtwitterに代表される「オープンでかつリアルタイムな」情報ソースが増えているという違いはあるにせよ、根本的な思想は変わらない訳で。

    じゃあ、そこ、つまりソーシャルグラフに拠って立つWEB上でのコミュニケーションプラットフォームでもやはり「Google/PageRank的」アプローチが行われるのか、行われないとすると何が行われるのか。その辺が気になっています。なので気にしてください 笑

    競争環境における企業対企業で考えた場合、Facebookはソーシャルグラフを部分的に開放することでそのトラフィックを、つまり価値を増大させていて、一方でGoogleからのクロールはFacebookの重要な資産であるソーシャルグラフの(Facebookにとっての)希少性的価値を低下させることに繋がるな、と。開いてもダメ、閉じてもダメ、となるとどうやってGoogleにケンカを売ったら良いんだろうね。

    ソーシャルグラフがトラッカブルでマイニング可能なデータの集積体として存在する、していく方向性である限りは「Google神」状態にあまり変化はないのかな。でもなんかそれもつまんないよね。と、不完全な感想を一端終わります。あ、あと今思いついたんだけど、ソーシャルグラフのベースになるのはやっぱりメールアカウントだな、と最近思ってます。メールだメール。

    あとは直接、ね。

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  3. ごめん、正直「ウェブ総生産」がどういうイメージなのかが分からなかった。
    「総」って呼ぶからには合計出来なきゃいけないと思うんだけど、個々の数値が何を指しているのかが見えにくいんだと思う。今のところ。

    ただ上のHondaさんもおっしゃる通り、「Google/PageRank的」思想がソーシャルな繋がりでも成り立つという主張は分かる。
    というか、これは別にweb上だけのものではなく、リアルの繋がりでもそうだよね。
    信頼性は連鎖していて、信頼性の大きい人から信頼されている人は信頼性が大きくなる。
    これは人だけでなくモノや企業でも同じで、信頼性の高い人から信頼されているモノは信頼できる。
    どっかの企業の社長と繋がっている個人がフリーランスで仕事を出来るのも、有名人を使った広告が成り立つのも、この理由だと僕は思う。

    関係性の部分で言えば、今後は人と人だけでなく人と企業の繋がりももっとweb上に可視化されるだろうと思う。
    で、その次の段階としてはモノも繋がりの中に入ってくると思っている。

    あとは「Googleにケンカ売る」話なんですが(笑)、
    今日のTechCrunchの記事でZyngaのCEOが「将来のAmazonは、共有するフレンドたち…たとえばソーシャルなリビューページなど…からユーザを獲得する。Googleの広告クリックからではない」と発言していたように、情報が増えれば増えるほどソーシャルな関係からのトラフィックが増えると思います。
    その時にはGoogleを初めとした検索の価値は相対的に低下するのではないかと。
    そんなことを考えております。

    今度また色々語りたいですな。

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